座長インタビュー記事

お客様に支えられて45周年。芝居作りで広がる「人との出会い」|松戸市民劇団 石上瑠美子座長 

千葉県松戸市を拠点に活動する「NPO法人 松戸市民劇団」は、2024年で45周年を迎えました。現在、40~70歳代の劇団員12名が在籍し、年数回の公演や朗読会・講演会などのイベントを主催しています。

「『地に足を着けて働く生活者としての、リアリティをもった芝居』が私たちの劇団の魅力です。プロの役者がサラリーマンを演じるよりも、市民劇団の役者が演じたほうが、リアルに見えるでしょ?」

こう語るのは、松戸市民劇団の創立者である石上瑠美子座長。劇団を「生涯楽しみ学べる、大人の遊び場」と表現し、仲間たちとともに日々稽古に励んでいます。いまでこそ、お客さんに囲まれてアグレッシブに活動する石上座長ですが、かつては「劇団を辞めたい」と真剣に考えた苦しい時代もあったそうです。

そのような状況下でも、石上座長が芝居を続けてきた理由とは何だったのでしょうか? お話を伺いました。

「恋する乙女」芝居と疎遠だった時期も

幼い頃から芝居や映画が大好きだったという石上座長。3歳ごろから一家そろって鑑賞に行っており、その経験が芝居に親しむきっかけになりました。

また石上座長は、ごっこ遊びが好きな子どもでした。何よりの楽しみは、近所の子どもたちを集めて、芝居ごっこをすること。さらに、5歳のときから「のど自慢」に出演して入賞したり、小中学校時代は演劇クラブで活動したり、舞台に立つ機会が多くなりました。そうするうちに、人前で何かをして、人を喜ばせることこそが自分の役割だと感じるようになっていったそうです。

しかし、大人になると恋するお年頃を迎え、芝居への興味は薄れていきます。母子家庭だったため、家庭を築くことに憧れていたことから21歳で結婚し、子育てに忙しく芝居とは縁遠い日々を送っていました。

松戸市民劇団が誕生!大成功をおさめた旗揚げ公演

そんな石上座長に転機が訪れたのは、ボランティアで松戸市民交響楽団の司会をしていた、28歳のころ。当時、松戸市の計画に「市民劇団の誕生と育成」が掲げられていたため、松戸市民交響楽団の代表者に「新しく市民劇団を作ってみたらどうか?」と勧められたのです。

小中学校のころに熱中した劇団活動に再びチャレンジする――そう考えるだけで石上座長は当時のワクワクした気持ちが蘇ってきたといいます。しかし、劇団活動は一人ではできないため仲間が必要です。そんな折、中学校の演劇部で仲間だったKさんと、電車内で偶然に再会します。石上座長が事情を話すと、Kさんは「面白いじゃない、やろうよ」と二つ返事で協力してくれることになります。

さっそく市の広報紙で劇団員の募集をかけると、数名の仲間が集まりました。演劇指導をする顧問には、劇団民藝の俳優である故高山秀雄氏を迎えました。そして、1979年9月に社会教育の認定団体となり、松戸市民劇団が誕生したのです。しかし、その数日後に4歳の息子を病気で亡くし、深い悲しみを感じながらも、劇団員の存在と旗揚げ公演の実現を励みに過ごす経験をします。

子どもを亡くした大きな苦しみを乗り越えて迎えた、旗揚げ公演は『待合室の春』。役者も演出もつたないながらも、約100名もの友人や家族が鑑賞してくれました。「終演後にお客様からいただいた花束にうずもれた団員の笑顔が、公演の成功を物語っていたと思います」と石上座長は語ります。

一転、劇団員の退団続出でピンチに……

旗揚げ公演は無事終了したものの、順風満帆な期間は長くは続きませんでした。創立してから数年経ったころ、劇団員の退団が続出してしまったのです。その理由は、作品に対する意見の食い違い、就職や結婚などの生活環境の変化が大半で、結果的に最盛期の半数近くのメンバーが去ってしまいました。当時について石上座長はこう振り返ります。

「創立してから数年も経つと、悲しいことに旗揚げ当時の志が薄れてしまうんですね。仲間の気持ちもよく見えなくなってしまいました。もう劇団を辞めよう……そう心に決めて最後の作品として選んだのが、清水邦夫氏の名作『楽屋』です」

このとき初めて、石上座長と11名の劇団員は、作家や脚本が書かれた時代背景について学ぶことから始める稽古方法を取り入れました。石上座長は劇団員の演技に妥協することなく深夜まで稽古をつけ、それに劇団員も根気強くついていき、約1年後にようやく公演が実現します。みんなで力を合わせた作品は、素晴らしい出来だったといいます。

「『楽屋』の稽古を通して、作家や作品について知れる芝居の奥深さや、劇団員が団結して一つの芝居を作り上げる喜びに、気付くことができました」と語る石上座長。

そうして、劇団に残っていたメンバーは芝居の面白さに目覚め、その後も活動を続けることになったのです。

石上座長が劇団を続ける原動力はもう一つあります。それは、公演に駆けつけてくれるお客さんの存在です。

「劇団を辞めたいと思っても、お客様から『次の公演はいつ?』と聞かれると、やっぱり次回の公演もがんばろうと思えます。そして、これで最後と決めた公演の終演後にお客様から拍手をいただいて、『次も楽しみにしているね』と言われたら、やめられない。ずっとこの繰り返しなんです」

お客さんが貴重なお金と時間をかけて芝居を観に来てくれる、この喜びは何物にも代えがたいものです。「おかげさまで、何度辞めたいと思っても立ち上がれました。お客様に支えられて45年ですよ」と石上座長は語ります。

芝居をとおして広がる「人との出会い」

これまで松戸市民劇団にて92回もの公演を行ってきた石上座長。市民劇団として芝居をする魅力について伺うと、こんな言葉が返ってきました。

「人との出会いがぐっと広がるのが魅力ですね。松戸での公演では、お客様が新たなお客様を連れて来てくださることで交流が広がり、地域で芝居をやっていて良かったと思います」

また、松戸市民劇団は少ない人数で活動しているため、他劇団の役者に客演してもらったり、地域の方に公演を手伝ってもらったりすることで運営しています。公演をするたびに、一緒に芝居を作る仲間が、どんどん増えていくのも喜びの一つです。

さらに、他劇団との合同公演をとおして、芝居をしていなければ出会うはずのなかった地域の皆さんとの縁も生まれます。石上座長にとって特に思い入れが深いのは、鳥取県倉吉市の影絵劇団「みく」との合同公演「梨の懸け橋」です。鳥取と松戸は簡単に行ける距離ではないため、合同での稽古もなかなかできず、一つの芝居を作るためには苦労が多かったそう。「まるで遠距離恋愛のようだね」と言い合っていました。それだけに、共に芝居を作り上げた仲間との出会いは、かけがえのないものだったといいます。

「最終公演を奈良で終えた後に、作品のテーマソングをみんなで涙を流しながら歌い、鳥取と松戸に別れて帰った感動は忘れられません。20年近く経った今も、鳥取の仲間との交流は続いています」

「応援したい」と思ってもらえる人でいる

40年以上前の旗揚げ公演から、多くのお客さんに芝居を観に来続けてもらっている石上座長。お客さんを呼ぶためには「応援してもらえる人間であること」が何より大切だといいます。

「アマチュアである市民劇団の場合、お客様は芝居を観るためだけでなく『劇団員が芝居にチャレンジする姿』を応援するために、わざわざ足を運んでくださっているのだと思います。お客様は、親しくしている劇団員が一生懸命芝居をする姿を観ることで、『頑張っているな』と喜んでくださるんです。人から応援してもらえる自分でいるためには、日頃から相手に喜んでもらえる行動を心がけています。『私といると楽しい、幸せだ』と思ってもらえるように気を付けて、いつも笑顔でいるようにしています」

これまで石上座長は、松戸シティガイド(*)のボランティア、ボイストレーニング教室や講演会の開催などで、地域の人々に楽しんでもらえる活動をしてきました。周囲の方が公演・イベント・お祭りをするときは、お客として参加したり積極的にお手伝いしたりもしています。面倒見がよく、「人に喜んでもらいたい」という気持ちで行動する石上座長の人柄に惹かれて、芝居を観に来るお客さんが絶えないのかもしれません。

*松戸シティガイド:(一社)松戸市観光協会所属の観光ボランティアガイド。おもてなしの心を第一に、国指定重要文化財の戸定邸や松戸市の魅力を伝えている。

演劇をやってみたい方へ。「待っているから、いつでも遊びにおいで」

最後に、石上座長が松戸市民劇団で今後チャレンジしたい作品について伺いました。

「野外公演に挑戦してみたいです。野外公演は、本物の水や火を使うなど、劇場では難しい演出ができるので。新宿梁山泊の作品『人魚伝説』ができたらいいなと考えています」

上演したい作品は尽きない石上座長ですが、現在の劇団員数は12名で、役者の人数不足が課題だといいます。また、劇団員の年齢層は40~70歳代と成熟した集団になり、昔より落ち着いて運営できる反面、若い男女の配役に困ることもあります。

現在、松戸市民劇団は新規の入団員を募集中です。石上座長は、「新しく来てくれる方が舞台に立てるように、作品を作っていきたいと考えています。みんなで楽しく芝居をしているので、やってみたい方は気軽に遊びに来てほしいです」と話します。

「生涯楽しみながら学べる大人の遊び場」である松戸市民劇団は、稽古の見学も歓迎しています。興味がある方は、下記のフォームよりお問合せください。

【取材・文:入江加奈子】